娘に「善悪の基準」を

教えることができた!

 

幸福の科学の教えに出合って、

子どもに善悪の本当の意味を伝えることが

できるようになったお話です。

 

道場慶子さん(仮名・神奈川県) 幸子さん(仮名・小5)

 



 

娘の疑問

 

 現在、小学校5年生になる長女、(ゆき)()は、親の私からみても、とてもまじめで正直な性格です。

 

 娘が学校生活を通じていろいろな子どもたちを目にし始めると、本人なりに「変だな」と思うことが多々あったようです。

 

 それは、例えばこんなことでした。

 

 先生が、「静かにしなさい」と言っているのに、おしゃべりしている子がいたり、自分のやりたいことをそのまま続ける子がいたり――。いつまでたっても、ガヤガヤしていて一向に静かにならない教室の様子に「なんでだろう?」と、疑問を感じていたようです。

 

 娘は、小学校に上がってすぐ、「学校に行きたくない」と言っていた時期があり、これはそのときに聞いた話です。

 

 幸子にとっては、学校のルールを守らない子がいるということが不思議で仕方なかったのです。

 

 幸福の科学に出合う前、私は、家庭のなかでどんなに良いこと悪いことを教えても、「あの子はやってるけどいいの?」「そんなこと言ってもわからない子もいるよ」と納得できない様子の子どもたちに、親としてきちんと応える言葉が見つかりませんでした。

 

 「いったい、どう教えればいいんだろう」。年々成長していく子どもたちに対して、とまどいを感じていたのです。

 

 

思いがけない出来事

 

 そして、小学校2年生の時、びっくりする出来事が起こりました。

 

 それは、お友だちのお母さんからの「うちの子に何か買ってくださいましたか?」という電話で始まりました。知らない物を持っていたので、どうしたのか聞いたところ、「ゆきちゃんのお母さんに買ってもらった」と、答えたというのです。

 

 私には覚えがなく、その品は、先日遊びに来たその子と幸子に買い物を頼んだ時に、勝手に買ったものだと分かりました。

 

 しかし、話はそれだけで終わらなかったのです。後日、その件でうちに来た親子と話すなかで、なんと今度はその子が、「ゆきちゃんだってお金払ってない物持ってるもん」と言い出したのです。

 

 娘に問いただすと――、それは、2カ月程前。友だちに誘われて一緒に行ったお店の前で、「ここで待ってて」と言われたそうです。その後、お店から出て来た友だちから「いらない」と言うのに無理やりシャーペンを渡されたということでした。察するに娘は、黙って品物を持ってきた子たちの見張り役にされていたのです。

 

 「ごめんなさい。来年のお年玉でお金を払いに行こうと思っていたの」

 

 幸子は、とんでもないことになってしまったという感じで、机の奥の方から真新しいシャーペンを出して来ました。

 

 私は、「いけないことをした」と誰よりも分かっている娘の気持ちを思うと、叱るよりもどうフォローしようかと考えました。

 

 (2カ月間も誰にも言えないで、苦しかっただろうな……) 胸が痛みました。

 

 そして、「幸子は、縁あって生まれてきたんだから、こういうときこそ、お父さんやお母さんに相談してね」と、言葉を選んで話をしたのです。

 

 

映画「永遠の法」で答えが見つかる

 

  実は、ちょうどこの少し前、職場でお世話になった方から誘われ、幸福の科学製作の映画「永遠の法」を家族で観に行く機会がありました。

 

 あの世があるということ、この世には魂の学びのために生まれて来ていること、夫婦や家族は約束した深い縁のもとに生まれていることなど、一つひとつが初めて聞くことばかりでした。

 

 そして映画のなかで、あの世に還ると、まず、自分の生前の数十年間の生涯、個人ヒストリーが上映されました。そこで、生前の行いを映し出すスクリーンを見せられ、自分の人生を判定することになるのです。

 

 私はこの場面を観たときに、(答えが、ここにあった!)と思いました。

 

 「怒られるからいけないのではない。誰も見ていなくても、人がやっていなくても、善悪は決まっていて、死んだ後にきちんと答えが出る」と分かったからです。

 

 映画が終わった後も、「すごかったね」、「私たち、家族になろうって約束してたんだね」と、興奮気味の子どもたちと大騒ぎで感想を話し合いながらその日を過ごしました。

 

 この映画は、私だけでなく、主人や子どもにとっても驚きと感激の連続だったのです。

 

 

心が強くなった娘

 

 それからは、娘とのコミュニケーションづくりを心掛けていきました。元来しっかり者なので、プレッシャーを取り除くためにさりげなく私自身の失敗談を話してあげたり、2人だけでお風呂に入って何でも話せる時間をつくったりしていきました。

 

 しばらくすると、これまでは些細(さ さい)なことでもよく悩んでいた娘が、自分自身で判断できるようになり、迷いが消えていったようでした。

 周りのお友だちと違っていても、仏様を基準に考えることで自分に自信が持てるようになったのだと思います。

 

 そんなふうに、気持ちを切り替えていく強さが身についた娘の姿を見ると、本人の気持ちも楽になっているように感じました。

 

 

子育てに不可欠な信仰教育

 

 子育てにおいて、子どもたちに善悪を教えることはとても大切なことだと思います。学校の先生方もさまざまな教材を使い、道徳的な面から一生懸命に教えてくださっています。

 

 でも、私は、人生の意味も知らず、「霊的な真実」を知らないままでは、子どもたちに「本当の善悪」を教えることはできないと感じています。

 

 実際、仏法真理に出合うまでの私は、善悪について、言葉の上では子どもたちに伝えていても、常に矛盾があり、どう教えたらいいのかという“怖さ”を感じていたのです。私自身、過去に友人から偽善だと言われ傷ついた経験もありました。

 

 でも、今は違います。

 

「信仰を手放さず、この教えを学んでいけば、間違いない。親が仏法真理に根付くしっかりしたものを持っていれば、どんなことが起きても必ず対処していけるはずだ」と確信しています。

 

 信仰教育こそ、素晴らしい子どもたちの未来をつくりあげる柱となると信じます。