障害を愛の学びと受けとめ

未来に希望を見出せた

 

重度の自閉症(じ へい しょう)と診断された長男。

苦しい心の葛藤(かっ とう)を乗り越え、前向きに生きていく決意ができたお母さんのお話です。

 

江藤 三咲さん(仮名・熊本県) 

夫の健一さん こうきくん(仮名・6才)

 



 

「まさか、自分の子が……」

 

2800gで元気な産声を上げた第2子の長男。新しい家族の誕生に喜んだのもつかの間、息子は生まれてすぐから母乳もミルクを受け付けず、私は何とか少しでも飲ませようと必死で、ひとときも気が休まりませんでした。

 

ちょうど一歳半の時です。風邪をひいた息子を病院に連れて行ったところ、お医者様から、「自閉的傾向があるようですね。専門医に相談してみてください」と言われたのです。

 

そして、紹介していただいた病院での診断結果は「自閉症」だったのです。

 

「自閉症って何ですか? 治るんですか?」

 

「自閉症自体は治りませんが、育て方次第で……、早期療育(そう き りょう いく)が大切なんですが……」

 

さまざまな説明が続きましたが、次第にその声が遠のいていきました。

 

(私が障害児を出産? 妊娠中だって健康で何も問題はなかったのに――。どうして……)

 

とめどなく涙がこぼれ、言いようのない絶望感で、すぐには立ち上がれないほどでした。

 

 

親と子は約束して生まれてくる

 

子どもの障害と共に、私自身の未来までも希望がたたれたように思いました。

 

一方で、そんなマイナスの思いを振り払うように、幸福の科学で学んだ真理の教えが、何度も頭の中を駆け抜けていたのです。

 

(親と子は約束して生まれてくる。人は人生計画を立てて生まれてくる―-、きっとこの子の障害にも意味があるんだ)

 

私は、何百冊とある幸福の科学の書籍の中から、障害について書かれている所を探し続けました。

 

「障害児は、障害を持って生まれることで、人々に健康の素晴らしさを教えている。」

 

「あえて障害を持つ人生を選び、その条件のなかで素晴らしい人生を生き切っていくことに、その人の使命がある」

 

真理の書籍を読んでいると、心が落ち着き、少しずつ今の状況を客観的に考えられるようになっていきました。暗く、重い気分を持ちこたえ、何とか(できる限りのことをやっていこう)と思えるようになっていったのです。

 

私は、急いで療育施設を探し、すぐに親子で通い始めました。

 

 

極限状態の日々

 

しかし、それは私と息子の長い戦いの始まりでした。

 

施設に通い始めても、摂食障害を持つ息子は、食事時間になると泣き叫び、口を真一文字に結んで全く開けようとしません。小さなスプーンの前半分に息子の好きなゼリーを乗せ、後ろ半分につぶしたご飯を乗せて、だましだまし食べさせるのですが、それでも3口が限度です。睡眠障害もあるので、夜でも続けて眠るのは3時間程。睡眠剤を用いるのですが効かないこともあり、突然起き出しては「わーわー」と声を上げたり、走り回ったりしました。

 

ある時など、夜中に起きると、自分の排泄物を壁や布団につけて遊んでいたのことも。

 

(なんで、こんな子を生んだんだろう)と、気が遠くなることもありました。

 

そんな時、ぼうぜんとしている私のとなりで、主人が汚れた壁や布団を拭きながら、「がんばろうね、お母さん」と、何度も笑って声をかけてくれたことが救いでした。

 

そのころは、睡眠不足と精神的疲れで毎日が極限状態でした。その日一日を乗り越えることが精いっぱいだったのです。

 

 

仏法真理が心の支えに

 

 無我夢中で1年半が過ぎました。

 

その間、ふと、(親子の約束ってホントなのかな。なんで私が……)と、出口の見えない療育の日々に限界を感じ、そんな疑問がわいてくることもありました。

 

この時は、大川隆法先生の復活の法という書籍の一文にハッとしたことを覚えています。中には「人間は心で考えているのであって、脳ではありません。脳はコンピューターのような“械”にしかすぎないのです。機械の機能(き のう)充分(じゅう ぶん)でなければ、考えを伝えることはできませんが、考えそのものは完全なのです」と書かれていたのです。

 

(そうか、息子の心は正常なんだ。彼は、すべてわかっているんだ)

 

私は、息子の心への働きかけを心がけていきました。

 

体が成長してくると、次に、体のコントロールの調整を「歩き」から始め、立つ、座る、トイレ、手洗いなど日常生活のすべてを細かくトレーニングとして教え始めます。一瞬でも目が離せず、一回でも気を抜くと元に戻ってしまうので、何一つ欠かすことはできません。そんなに努力をしても、2年かけてできるようになったのは、トイレと、玄関でくつを脱ぐこと。

 

進まない療育にいら立ち、疲れ果てることもありましたが、そのたびに真理の教えに助けられてきたのです。

 

 

息子の可能性と未来への希望

 

 6才になると、ぐっすり眠り何でも食べて、言葉でのやりとりも少しだけできるように。療育も兼ねて始めたピアノと水泳も、今ではだいぶ上手になりました。

 

私は、息子の子育てを通して、多くの障害を持つ子どものご両親や施設の先生方のひたむきな愛情や、情熱あふれる世界を知ることができました。そして何よりうれしいのは、子どもたちの輝く生命力を日々実感できることです。

 

息子は、「無償の愛」を私に教えてくれているのだと思います。

 

親として、わが子の可能性を信じて前向きに考えることができるようになったのは、仏法真理を学び、親子の霊的(きずな)に気づけたからです。

 

まだまだ問題は山積みですが、

すべてを受け入れ理解していくことこそが本当の愛のあり方を知ることであり、必ず魂の糧となると信じています。