違うタイプの子どもを持つ

親の悩み

 

二才差で正反対の個性を持つ姉妹。

二人の個性の違いに戸惑いながらの子育て体験です。

 

緒方 祐奈さん(仮名・広島県) 

えりさん(仮名・小3) ゆかさん(仮名・小1)

 



 

「子どもは親の所有物ではない」

 

今から十数年前。

 

私は、当時妊娠中だった姉から、「人間は一人ひとりが魂を持っていて、たとえ自分の産んだ子どもであっても、一個の尊い個性を持っているの。だから、親の所有物ではないのよ」と聞かされました。

 

「へぇー、そうなんだ。だから子どもは(さず)かりものだって言うのかな……」

 

その頃まだ学生だった私は、当時はその言葉に特別な印象はありませんでした。でも、2人のママになった今は、この真理こそが、私の子育ての指針であり、柱であり、支えとなっています。

 

その後、結婚し、長女のえりを出産。えりは、特に手がかかることもなく、すくすくと大きくなりました。もちろん初めての子育てでわからないことばかりだという大変さはありましたが、楽しい子育てでした。

 

ところが、2才違いで生まれた次女のゆかは、えりとは全く違うタイプだったのです。

 

ハイハイを始めるようになると、まず、長女との行動力の違いに驚きました。

 

動き回る範囲が長女と比べて数倍も広く、興味を持ったものがあると、周りにお構いなく、一直線に突進していきます。長女の時には全くなかったことです。

 

思えば、2人は胎教から違っていました。長女を妊娠中には、不思議と読書への意欲が湧いたり、漢字検定の勉強をし始めたりしました。次女のときには、食べるものに無性に興味が湧いて甘いものをよく食べていたことを覚えています。

 

また、2、3才の頃、迷子になったゆかを家族みんなで探し回ったことがありました。上の子は、人込みの中で私の側を離れることなどなかったので、とても(あわ)てました。

 

姉妹の違いは成長するにつれ、さらに顕著(けん ちょ)になっていきました。片付けや宿題のやり方など、えりのときのように丁寧に説明してあげても、ゆかは納得しません。姉はそれでよかったのに、ゆかは、何度言っても言うことを聞かず、しつこく追及すると口答えをしたり、すねて泣き出したり……。

 

上の子での成功例は、下の子には全く通用しないのです。私は、2人の個性の違いに翻弄(ほん ろう)される毎日でした。

 

 

上の子らしさ・下の子らしさ

 

ゆかの行動は、私には理解できないことが多く、「なぜそんなふうに考えるのか」、「なぜそんなことをするのか」と、戸惑(と まど)うことばかりなのです。

 

でも、そんなとき、いつも思うのは「子どもは、親とは違う一個の個性ある魂を持った存在だ」ということでした。私は2人の違いを考えてみました。 

 

えりは、何事にも慎重で、親の言った通りにするので手がかからないけれど、反面、()ずかしがり屋でしゃべるのが苦手な調和型。ゆかは、自分の思うように突っ走って困るけれど、とても社交的で積極的。誰とでも仲良くなれるし、小さい子の面倒見もいい進歩型――。

 

(短所は見方を変えれば、長所でもある。それぞれの良いところが違うだけなのね)

 

と、とらえるように努力しながら、姉妹それぞれの接し方を変えていきました。

 

上の子には、何かできたときには思いっきりほめて、「やったらできるんだ」と自信が持てるように声を掛け、下の子には、何でも一生懸命なところを、ちゃんと認めてあげるように気をつけました。

 

そのうえで、なかなか言うことを聞いてくれないゆかには、最初に「ママはずっと言い続けるからね」と念を押して、貫き通す姿勢をきちんと見せるようにしたのです。どうしても譲れないことは、何度でもくり返し言うようにしています。

 

私は、子どもの本来持つ個性を尊重しつつ、さらに伸ばしていけるように気をつけました。

 

何かあるたびに、「子どもは子ども独自の個性ある魂を持っている」という真理を思い出し、自分の子育てをふり返るようにしています。

 

 

違う個性だからこそ、

得られる学びがある

 

幸福の科学出版の『幸福へのヒント』という書籍には、「魂固有の力を信じ、子どもが『伸びていきたい』と思っている方向へ最高に伸ばしてあげることが最大の教育なのです」と書かれています。

 

私は幸福の科学で学んだことで、子どもが本来持って生まれた個性を、親の思い通りに変えられるものではないことを知りました。

 

もしそれを知らなければ、ゆかのユニークさを受け入れることができずに、いつも怒っているイヤなママだったと思います。

 

それに、個性的な子どもたちと親子になれたからこそ、気づけることも多いのだと感じています。他人なら避けて済ませられても、自分の娘であれば、そうはいきません。

 

親子だからこそ、逃げずに向き合い、自分と違う個性であっても、努力して理解しようと思えるからです。いろいろな個性を持つ魂と共に家族として歩めることがとても幸せです。